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街道松 中山道道中記   街道松

第47宿大湫宿
おおくてじゅく
大湫宿は中山道開通より遅れた慶長9年(1604)に開かれた宿駅で、東に十三峠、西に琵琶峠を控えた
山間の小さな宿場である。江戸時代後期に建てられた国登録有形文化財の古民家が街道沿いに並んで
おり、趣ある町並みを歩くことができる。

街道地図

 平成21年12月2日   むむっ 姫が3人、いや3体

大湫宿碑古民家2棟十三峠を歩き終わると「大湫宿碑」(左)が迎えてくれる。石碑には「京へ四十三里半」とある。キロに直すと約170km強。三条大橋はまだまだ先だが大湫宿はすぐそこだ。

宿碑横の坂道を下り枡形を左に曲がると、そこは宿場。早速「古民家2棟」(右)が並んでいるではないか。共に江戸時代末期の建物で、旅籠だったという三浦家と森川家。  両建物とも国登録有形文化財。

姫が3人、いや3体和宮歌碑すぐ先の駐車場奥に「姫が3人、いや3体」(左)。その後ろの小学校はかつて本陣があった場所。和宮降嫁の際、この本陣を一夜の宿としているが、その他にも五十ノ宮や登美ノ宮、鋭姫・・・など多くの姫様がお泊りになったとか。

横の坂道を上がり小学校の門を入ると、左側に 「和宮歌碑」(右)が建てられている。
   遠ざかる 都と知れば旅衣 一夜の宿もたちうかりけり
     思いきや 雲井の袂ぬぎかえて うき旅衣袖しぼるとは

防火用水問屋場跡説明板街道に戻ったすぐ先で、時代劇でよく見かける「防火用水」(左)が目に入った。銭形平次の子分 がらっ八 に追われた盗人がひょいと身を隠したあれよ。江戸・神田明神下の長屋ではなく大湫宿にあったか。

その隣が 「問屋場跡」(右) 。、今は説明板があるのみ。ごくごく一般的なことだけが説明されているが、大湫の問屋場の特徴などを記してくれたら読み応えがあるのだがなー。

虫籠(むしこ)窓の家屋号を掲げた家その先になんとも珍しい「虫籠(むしこ)窓の家」(左)があった。虫かごに似た窓なので虫籠窓。中山道では始めて見た窓の形状だが近畿地方に多い。京都に近づくと見ることができるかな。

街道沿いには門田屋、桝屋、花屋などの屋号を掲げた民家が何軒か見られるが江戸屋の「屋号を掲げた家」(右)もありました。何故江戸屋なのかは分かりませんがこの行灯、味がありますね〜

旧脇本陣 保々家神明の杉 その対面辺りの階段上が「旧脇本陣 保々家」(右)で、当時の建物が一部残されている。高級武士や公家など身分が高い人物が利用したため式台付きの玄関や上段の間が設えられていた。今も保々家が住居としているため内部の見学は出来ないが母屋は当時を偲ぶことが出来る重厚な造り。

脇本陣の先にある神明神社は慶長年間(1596〜1614)の創建。すごいのは神社前にある「神明の杉」(左)。樹齢1300年だとか。幹回りは10mとも11mとも。

大湫観音堂観音堂の絵天井神社脇の小道を上ると見える「大湫宿に過ぎたもの」と言われた「大湫観音堂」(左)は2度の大火で類焼、現在の建物は 弘化4年(1847)に再建されたもの。

瑞浪市の有形文化財に指定されている「観音堂の絵天井」(右)が素晴らしい。天井絵を描いたのは恵那郡の三尾静なる画人。60枚の花鳥草木絵は見事な筆致で今でも鮮やかな色合いを見ることができる。


 ここから平成21年12月3日    江戸時代のままの700m以上の石畳道を歩いてきました。

高札場(復元)小坂の馬頭様観音堂から元に戻らず先の階段を下っていくと「高札場跡」(左)があり高札が復元されている。奈良井宿で復元高札場を見かけたが、妻籠、馬籠、中津川、大井と各所で高札が復元されている。高札場の復元がブームだった時期があったのかな。

宿場街はこの辺りで終わりであったが今はもう少し先まで家が連なっている。この先は「小坂の馬頭様」(右)や大洞の馬頭様を見ながらのんびり歩くことに。

大湫の二つ岩二つ岩碑大洞の馬頭様のすぐ先に安藤広重の版画にも描かれている「大湫の二つ岩」(左)がある。手前が母衣岩、向こうにチラッと見えるのが烏帽子岩。

太田南畝が記した壬戌(じんじゅつ)紀行の一部が「二つ岩碑」(右)に刻まれている。
道の左に立てる大きな石二つあり。 一つを烏帽子岩という。 高さ二丈ばかり、巾は三丈に余れり。 また母衣石というは高さひとしけれど巾は倍せり。 ・・・・・・・
注:太田南畝は江戸に向かっていたので向きが逆に表現されている。

琵琶峠入り口江戸時代のままの石畳道二つ岩から5〜6分歩いたところに「琵琶峠入り口」(左)がある。標高558mほどなのでそれほど高い峠ではないが江戸時代の長い旅にはきつい峠越えであっただろう。

新道が出来てからは長い間埋もれていた峠道。昭和45年(1970)「江戸時代のままの石畳道」(右)が700m以上に渡って確認され当時の峠道に復元・整備されました。 江戸時代の石畳道としては日本一の長さ。

琵琶峠頂上和宮歌碑石畳道を上っていくと途中の見晴し台に太田南畝などの文学碑が据えられているが、見晴らしが悪い見晴し台であった。「峠の頂上」(左)は巾1・5mほどの狭い道。この道を和宮一行数千人が越えていったのかと思うと隔世の感がある。

頂上には「和宮歌碑」(右)と馬頭様が。
  住み馴れし都路出でて けふいくひ いそぐとつらき  東路のたび
多くの従者と一緒とはいえ心細い旅ではなかっただろうか。

八瀬沢(やせざわ)一里塚琵琶峠西上り口碑この先は下り坂。まもなく「八瀬沢(やせざわ)一里塚」(左)に到着。左右両塚とも塚上の木は無くなっているが ほぼ完全な形で現存しているという貴重な一里塚。

琵琶峠を下り車道を横切ってさらに下ると県道に合流。この辺りが八瀬沢立場跡で合流点に「琵琶峠西上り口碑」(右)が建てられている。この先は県道をてくてくと。


北野坂の廻国塔・一つ茶屋跡・天神辻の地蔵尊・焼坂の馬頭様などを見ながら山間の道を約40分。
北野坂の廻国塔 一つ茶屋跡 天神辻の地蔵尊 焼坂の馬頭様

弁財天の池八臂(はっぴ)の弁財天到着した場所は「弁財天の池」(右)。太田南畝(蜀山人)の壬戌紀行に「小さき池あり。杜若(カキツバタ)生いしげり。池の中に弁財天の宮あり」と記されているが今もカキツバタの自生地。

ここの弁天様は琵琶を持たない「八臂(はっぴ)の立像」(右)。手が8本もあるとは勇ましいねー。


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