 4〜5分歩くと国道19号に合流。 この先は国道をテクテクと。今はJR中央線や国道が通り、立派な歩道もある「羅天の桟付近」(左)であるが、江戸時代は木曽川に崖が迫る難所中の難所。木曽路名所図会に次のように記されている。 「木曽路はみな山中なり 名にしおふ深山幽谷にて 岨(そば)津たひに行く崖路多し 就中(なかんづく)三留野より野尻までの間はなはだ危うき道なり」 と。
羅天橋を渡り左に入る坂道を上ると鎮座しているのは「蛇抜けの地蔵」(右)。天保15年(1844)の蛇抜けで犠牲になった99名の人々を弔うために尾張藩が弘化2年(1845)に建立。 コメント:蛇抜けとは、木曽谷の人々が恐れていた土石流のこと。 |